リアルSNSでコミュニティーを再構築しよう

76歳の農水省元事務次官が44歳の引きこもりの息子を刺し殺すという凄惨な事件が起きた。その詳細は刑事裁判を通じ明らかにされていくのだろうが、引きこもりの息子はもちろん、役所を随分前に退官した高齢の父親も社会から疎外されていたのではないかと私は思う。これは単身世帯が3分の1にまで達した「ソロ」社会に住む私たちにも他人事とは言えないだろう。

過去を振り返れば、戦前の日本では、多くの国民がコミュニティに帰属していた。農村部においては、大家族世帯が普通であり、さらに、本家・分家が近隣に住んで交流、さらに「村」では、田植えや入会地の維持などの共同作業を頻繁に行い、近隣同士で見合い結婚をし血筋の新陳代謝を図り、「家と家」が外戚関係として緩く繋がり、「世帯」ー「直系」ー「外戚」ー「村落」という四重の共同体が機能していた。

ところが、敗戦後、日本の軍国主義思想を打破するため、GHQがキリスト教(ピューリタン)的価値観に裏付けられた人権思想や社会契約論を徹底的に植え付けた。それは、憲法における基本的人権の明記だったり、普通選挙の導入だったり、教育委員会とPTAが民主的に管理する学校であったり、財閥解体と労働組合保護であったりした。そこでは、「家」や「村」などの共同体は個人の人権を阻害する好まざるものとみなされ、個人は共同体から「解放」され、「自由」を手に入れた。

もともと勤勉で知的水準も高かった日本国民は、その「新しい物語」を無謬的に受け入れた。この「物語」が、東西冷戦下での日米安保体制と西側陣営での資本主義経済と三位一体となって、実に上手く働いた。教育水準の高い農村の次男や三男が集団就職で都会に移り住み、終身雇用の会社に就職して企業戦士となり、やはり都会に出てきた女性と恋愛結婚し、まずは郊外の団地に住まい、住宅ローンを借りて郊外の庭付き一戸建てに引っ越し、子供2人と「ニューファミリー」を形成した。それが平成バブル崩壊まで続いた高度経済成長の原動力となった。戦後の家族は、血縁や地縁や国家からすらも解放され、平和と自由と豊かさを謳歌した。

ただ心の奥底で、何か割り切れないものを感じていたのだろう。フォークソングの雄、吉田拓郎は、1971年にリリースした「どうしてこんなに悲しいんだろう」という楽曲で、「「皆んな」から独立してやっと自由になったけれども、何故かわからないが寂しくて涙が溢れる。やっぱり僕は「皆んな」と一緒に生きていこう」という趣旨の歌を歌い団塊の世代の心を鷲掴みしている。1500年も前から島国で農耕を営んできた日本民族のDNAには、集団指向が今も厳然と残っているのだと私は思う。

そして令和の時代がやってきた。LGBTや女性・子供の人権尊重など、欧米由来の「物語」はさらに深化している。一方で、平成不況が30年も続き、今では、経営者が終身雇用の放棄を喧伝して会社への帰属もできない。ニューファミリーの子供達は、通勤に不便な郊外を離れ一人暮らしを始め、経済的事情もあり、恋愛結婚すらしない(できない)し、結婚しても子供を作らない(作れない)。結果少子化が進行し、長寿化で配偶者を失った年寄りがニュータウンに残され、みんながバラバラになる「ソロ社会」を迎えている。

そんな孤独な世代の心の拠り所になっているのが、ツイッターやTikTokなどのSNSだ。そこでは、誰もがフォロワーを増やそうと発信を続け、インターネットを通じ、バーチャルに繋がった顔も素性も知らない「仲間」たちからリツイートや「いいね」をしてもらうことで他者からの承認欲求や集団への帰属欲求をなんとか満たしている。

殺された44歳の息子さんがはまっていた集団で行うロールプレイングゲーム(RPG)も一種のSNSだ。彼は、なんとかそこで外の社会との繋がりを維持していたのだろう。しかし、SNSはとても希薄な繋がりだから、集団への帰属欲求を満たすにはとても不十分だ。

では、私たちはどうすればいいのだろうか?

欧米的人権思想を今更捨て去ることはもう無理だ。だから、個人の人権や独立指向を尊重した上で、「個」とのバランスのとれたネットワークを構築して、リアルに繋がれる集団を作っていくしか方法はない。そんなことを私は常々思っていたのだが、その答えになるかもしれないモデルを最近見つけた。だいぶ長くなったが、これが私の言いたいことだ。

それはWeWorkというアメリカのベンチャーが立ち上げたシェアオフィスだ。先週その東京にある一つの拠点に出向き、責任者の方とお話しする機会を得た。それまでは、スノッブな外国人と意識高い系のベンチャーが銀座や六本木でエスプレッソ飲みながらお洒落に仕事をする、スターバックスの変化形の場所くらいに思っていたのだが、まるで違った。

同社はこのサービスをコミュニティ型ワークスペースという。そこでは、独立指向の高いベンチャーやあるいは大企業の会社員が活発に交流している。それは、ビジネスチャンスを探す営利目的ばかりでなく、共通の価値観を確認しあったり、高め合ったりしている。各拠点には、コミュニケーションを促進するファシリテーターがいて、どうやったら、「We」すなわち「仲間」を作れるかを腐心して、絶えず誰かと誰かをマッチングしている。

それを支える基盤が、同社専用のFace Bookに似たSNSだ。つまり、SNSの仮想性のくびきを取り払い、リアルで繋がる空間を提供している。そこで人々はSNSで、節度を持って(お互いの人権を尊重して)、仲間を見つけ、集団を形成して、一緒に働いている。だからWe Workというのだ。ある意味で、デジタル経済とシェア経済のコミュニティモデルを体現している。

もちろん、ここで働くのはかなり特別な属性を持った人たちだから、今すぐ日本国民全体にそのまま適用できるものではない。だけれども、このように、SNSを通じて知り合い、仲間を作り、その仲間がリアル世界で出会い、一緒に作業して、それをSNSで記録、評価、確認する持続可能な仕掛けを作るという手法は多くの人々に対しても機能すると思う。つまり、SNSのリアル化と生業化だ。それは農業でもいいし、漁業でもいいし、はたまた、コミュニティ太陽光発電所でもいい。おそらくブロックチェーンが役に立つだろう。

思えば、2013年に、ニートがニコニコなどのSNSを通じて100人以上集まってニート株式会社を設立したのはこの走りだった。ただ、デジタル化やシェア経済の枠組みが今ほど整っていなかったため、少し時代が早すぎたのかもしれない。私はエネルギーの世界を手始めに、このようなリアルSNSを使ったコミュニティの再構築を進めていきたいと思う。